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辛い体験をした時、『同じ経験をするのが当たり前』か『させたくない』と思うか

こんにちは、愛弓です。

世の中には、『他の人には、自分と同じ辛い思い・悲しい思いはしてほしくない』と思う人と、

『自分が苦労したんだから、他の人だって同じ苦労をして当たり前だろう』と思う人がいるんだな~と思いました。


たぶん、それぞれにメリット・デメリットはあって、「どちらが正しい」と断言することは難しいんだと思うし、どちらを選びたい人もいるんだと思う。

『どちらを選ぼう』と考えなくても、自分の生き方・思考などで、無意識のうちに変わってしまうものなのかもしれないとも思う。


でも私は、できれば『他の人には、自分と同じ辛い思い・悲しい思いはしてほしくない』と思える人でいたいと思う。

受験期に聞かされた、父の大学での苦労話。

私の父は、苦労して大学に通ったそうです。

高校は全寮制で、成績は優秀だったようですが、大学受験前に、祖父(父にとっては父)が騙されて事業は失敗。家も引っ越すことに…。

父は親戚のところで住み込みでバイトをさせてもらって、学費を稼ぎながら、大学に行ったようです。

ざっくり言うと、そんな感じだったように思います。


父の苦労話は、子供のころから何度か聞かされていましたが、大学受験の頃に聞かされた苦労話は、少し違っていました。


受験勉強をしていた時、父がやってきて優しい口調で話し始めました。

「お父さんは、住み込みでバイトをしながら、自分で学費を稼いで大学に通ったんだ。

大学では遊ぶ時間もなく、授業が終わればすぐに帰って、仕事をしなきゃいけない生活だった。遊ぶことも、自由に過ごせる時間もなかった。

だからお前も、大学に入ったら、自分で学費を稼ぐつもりでバイトをしなきゃいけない。

学校が終わっても遊んじゃいけないし、自由に使うお金なんてない。

友達なんてできない。

もしも友達に誘われても断らなきゃいけないし、二十歳を超えても、飲み会に参加したり、友達とお酒を飲むこともできない。

楽しいことなんて、何もないんだぞ。楽しいことなんてしちゃいけないんだぞ。

大学に行くっていうのは、そういうことだ。」と、そんな話をされた記憶があります。


当時の私は、『大学には行かなきゃいけない』『大卒じゃないと、就職先がほとんどない』と思い込んでいたので、必死に頼んで、大学受験をさせてもらいました。

生徒会もやめて、受験のために頑張っていたのに、今更受験せずに就職なんて恥ずかしい…という思いもあったのかもれません。

まぁ、実際には大学に行きましたし、友達とも遊んだし、飲み会にも参加ししたし…。

父は思い通りにならなくて、大変だったろうなとも思います。

実際に、弟妹が大学に入るころには、「学生のうちにしかできないことをしろ」みたいな話をしたみたいなので、もはや別人のようだなとも思いました。w

辛い思いをした時の考え方。父と私は違う。

ふと当時のことを思い出して話した時、

「お父さんはそういう人だから、気にしない方がいい」

「お父さんはおかしいから、気にしない方がいい」みたいなことを言われました。


私自身も、『自分の感覚とは違うな~』とか、『父の苦労話を聞いてほしかったのかな?』『心に、なんか引っかかってるのかな?』とは思いますが…

「お父さんはおかしいから、気にしない方がいい」なんて言われても、『う~ん』って腑に落ちないような感覚があったんですよね。

辛い思いをしたら、『他の人には同じ思いをさせたくない』と思う。

思い返してみると、

私は、自分が嫌な体験をしたり、苦労した時、『他の人には、同じような思いはさせたくない』と思うことが多いんですよね。

大きなおにぎり2つと、隙間にミートボールを詰めまくったお弁当箱

例えば、中額1・2年生の頃、母が作ったお弁当は、大きなタッパーに、大きなおにぎりが2つ、隙間にミートボール1袋を無理やり詰め込んだような…そんなお弁当でした。

私は、それがすごく恥ずかしくて…お弁当の時間が苦痛でした。

できればお弁当を食べたくないんだけど、部活の朝練もあったから、おなかペコペコ。放課後だって部活はあるし、お弁当を食べないわけにはいきません。

隣の席の女の子は『おんなのこ♡』って感じの、ものすごくかわいいお弁当で(しかも小食…)。

私はお弁当を見られるのが恥ずかしくて、蓋で隠しながら、こっそりと食べていました。

食べることが恥ずかしくて、なんだか惨めな気持ちで、満たされる感覚もないまま、ただ空腹を満たすために口に運びました。

向かいの男の子と目が合うたび、どう思われてるのかが恐くて、目をそらしました。

そして、いつのまにか、同じ班の子たちとうまく話せなくなり、孤立していきました。

あんな思いはさせたくない…。気を使わせたくもない。

大学に入学する頃、弟が学校でお弁当を食べていないことを知りました。

持って行ったお弁当を、帰宅してから1人で食べていました。


ちょうど妹もお弁当を持っていくタイミングだったので、私は自分の分も含めて、兄妹3人分のお弁当を毎日作るようになりました。

母のお弁当はトラウマのようになってるので、基本的に冷凍食品は使わず、毎日、いくつものおかずを作っていました。

(弟のお弁当だけは、大きすぎて、途中から冷凍食品も使いましたが…)


私は、「自分の分を作るから…」と、ついでに弟妹のお弁当を作ってるかのようにしていました。(本当はお弁当を作る必要もなかったんですけど…)

でも本当は、『あの頃の自分のような思いをしてほしくない』という気持ちがあったからでした。

弟が学校でお弁当を食べていないことを知った時、胸の奥がギュッと苦しくなりました。

もちろん、彼がどんな理由でお弁当を食べなかったのかなんて知りません。

それでも私は、自分が嫌な思いをした経験があるから、同じ思いだけはさせたくなかったんですよね。

それに、妹がお弁当を持っていくことを知ったときも、やっぱり同じ思いはさせたくないと思いました。


今回はお弁当の話をしましたが、それだけじゃないんですよね。

私は子供のころから、悲しい時や苦しい時に、「悲しい」「苦しい」「助けて」と言えず、1人で抱え込むことばかりでした。

だから、必要以上に、傷ついたり、孤独感を感じたこともあったと思います。

でも、『自分が苦しんだんだから、他の人も、同じ思いをするのが当たり前だろう』とは思わなかったんですよね。

自分の気持ちは伝えず、ただ『自分とおなじ辛い・苦しい思いはさせたくない』と思っていました。

さらに、『そういう思いを知ることで、相手が気を使うかもしれないから…』と、相手には気づかれないように、『自分がやりたいからやってるだけ』というスタンスで立ち振る舞っていました。

『自分と同じように、辛い思いをしろ』と思う人もいる。

それに対して、父は違ったんだと思います。


大学時代、父はすごく大変な思いをしたんだと思います。

その時の心の傷はまだ癒えていなくて、『誰かに聞いてほしい』『受け止めてほしい』みたいな思いがあったのかもしれません。

当時、父の話を聞いてる時も、そんなことを思いました。


私自身も、そういう気持ちはわかります。

嫌な思いって、なかなか抜け出せなくなってしまう時があるし。

何度も話したり、当時の自分の気持ちとか、周囲の状況とか…いろんなことを思い出して気づくことがあったり、癒されていくこともあると思います。

何度も同じ話をしてしまうことを嫌がったり、めんどくさそうにする人もいるけど…私は『別に、何度も同じ話をしたっていいんじゃないかな』と考えています。


でも、父が違ったのは、『自分が苦労したんだから、お前も同じように苦労しろ』『自分が苦労したんだから、お前も苦労するのが当たり前だろう?』みたいに思ってしまったことなのかなと。


とはいえ、『自分が苦労したんだから、同じように苦労しろ』『同じように苦労するのが当たり前だろう?』という気持ちに関して、共感する部分もあります。

例えば、自分を傷つけてくる人がいた時、『どうしてだろう?』『何か悪いことしちゃったのかな?』と考えたりします。

そして、過去の私は、『もしかしたら~かもしれないし』『私が気づいてないところで、傷つけてしまったかもしれないし…』と考えて、反省していました。


でも、自分が悪いわけでもないのに、一方的に傷つけ続けられることもあります。

そんな時、『どうして?』と聞きたくなるし、過去のことを掘り返したくなったりもするし、親切にすることができず、仕返ししたいような気持になってしまうこともあります。

実際に私は、小さな嫌がらせをしてしまったこともあるし、相手が傷つくような言葉をぶつけてしまったこともあります。

だから、『自分が苦労したんだから、お前も同じように苦労しろ』みたいな気持ちが100%わかるわけじゃなくても、少しわかるような気がします。


自分が「あれはダメ」「これもダメ」と制限されて育てば、その制限が自分の常識になってしまいます。

誰かを制限したり、苦しめたいわけじゃなくても、相手のためを思い、それを常識として伝え、相手を制限してしまうこともあります。

だから、『自分が苦労したんだから、同じ苦労をするのは当たり前のこと』と思ってしまう気持ちも、100%ではないものの、少しわかるような気はします。


それに、わざわざ言葉にしなくても、無意識のうちに、自分がした苦労を他の誰かに押し付けてしまうことがあるのも感じています。

例えば、自分の子供に対してや、妻夫、恋人、兄妹、部下…いろんな関係の中で、

相手を気遣ってるつもりなのに、『失敗しないように…』と思ってるのに、実は、相手の可能性や自分の常識が間違ってる可能性を考えずに、自分がした苦労を人に押し付けてしまってることがあります。

実際に、私もそうでした。


自覚の有無、周囲からのわかりやすさの違いはあるかと思いますが…

『自分と同じような辛い思い・苦労をさせたくない』と思うあまり、可能性を奪ってしまう場合もあるし。

『失敗しないように…』と、『あれは注意したほうがいい』『これも…』と言ってるうちに、同じ苦労・制限をさせてることもあるんですよね。

自覚のないもの・わかりにくいものまで含めたら、ほとんどの人がやったことがある気がする…。


だからかな??

父の考え方についても、当時の言葉に関しても…私はあまり強く責めることができないんですよね。

ただ、辛い思いをした時、『他の人には、同じ思いをさせたくない』と思う人と、『自分だって苦労したんだから、同じ苦労をしろ』と考えてしまう人がいるようには感じていて…。どちらの気持ちを優先させるかで、やっぱり違うような気がするんですよね。


私はできれば、『自分だって苦労したんだから、同じ思いをしろ』と思ってしまう人ではなく、『他の人には同じ思いをさせたくない』と思って行動できる人になりたいなって思います。

たとえ余計なおせっかいになる可能性があっても『他の人には、自分と同じ辛い・悲しい思いはしてほしくない』と思える人でありたい。

『自分と同じ、嫌な思いはさせたくない』と思っていても、それが相手の可能性を奪ってしまったり、制限をかけてしまったりする場合もあります。

無意識のうちに、自分の心の傷が投影されて、誰かに同じような思いをさせてしまうこともあります。

自分だけが苦しんでいるような気がして、無意識のうちに(反射的に)、その苦しみを誰かに押し付けてしまうこともあります。

それを100%避けるってすごく難しいことなんじゃないかなと。

今のところ、私の経験上ではそんな認識です。


ただ、傷つけてしまっても、制限されてしまっても…いつまでもそのままなわけじゃないんですよね。

人はどんどん変わっていくんです。

時間がたつにつれて、成長するにつれて、多角的に物事を捉えることができたりもするし。

その心の傷が自分の問題じゃないことに気づいたり、その制限が自分には必要ないことに気づいて、制限を飛び越えることができたりもする。

傷ついたからできるようになったことも、制限されたから知ることもあったりする。


だから、『自分と同じ、嫌な思いをさせたくない』と思っても、相手の将来の責任まで100%背負う必要はないんですよね。

過去の私は『もしも、あの時に私が~してあげていれば…(彼らは傷つかなかったかもしれない。そんな思いをしなくて済んだかもしれない)』と、たくさんの人の人生まで背負おうとしていました。

人の気持ち・今後のことなどを察してしまう瞬間があります。

そうなることが予想できたのに、変えてあげられなかったこと”を悔やんでいたんですよね。人の人生なのに…。


でも、そのまま進むことで失敗したり、辛い思いをすることがあったとしても、それはその人自身が『これだ』と思って選んだことなんですよね。

だから、そこまで干渉すべきじゃないということも、わかっています。だから、伝えたとしても、相手が望まないことであれば、押し付けようとは思っていません。

でも、たとえ相手が望んだことであっても、やっぱり傷つくことがわかってたのに何もできなかったことが悔しくて…力不足な自分を責めていました。

だけど、そこに無理に干渉しようとすると、それはもう過保護・過干渉になっちゃうんですよね…


でもね、

辛い・悲しい思いをした時、大変なことがあった時、

『他の人には、同じ思いをさせたくない』と思う人と、『自分が苦労したんだから、他の人も同じ思いをすべきだ』と思う人では、やっぱり全然違うと思うんですよね。

結局のところ、自分はどちらでいたいのかが大切なんだなと。


私は、やっぱり『他の人には、自分と同じ辛い思い・悲しい思いはしてほしくない』と思います。

だから、私にできる精一杯のことはしたい。

だけどもし、相手がそれを心から望んでいなかったり、自分の気持ちに気づかないまま『あっちがいいはず』と頭で考えているなら、

私は、自分の価値観を押し付けるより、その人が『これだ』と思うものを、求めているものを応援したいなと思います。

失敗したり、悲しい・辛い思いをする経験がその人にとって必要な時もあるし、私が『正しい』と感じてるものが本当に正しいとは限らないので。

ただ、どんな道を選んだとしても、辛い時、悲しい時、悔しい時…大切な人が支えを必要としてる時には、そばにいてあげられるような人でいられたらいいなと思います。


誰かは、「どう受け取るかは相手の問題だから、気にする必要はない」「そこまで心配する必要はない」と言いました。

誰かは、「相手のことを気にするより、自分の考えを言うことの方が大切だ」と言いました。


たぶんそれは、間違っていません。

それでも私は、たった一言、たった1つの動作が、時としてあ、大きな影響を与えてしまうことがあることを知っています。

頭では『正しい』『そうだ、そうだ!』と誰かの意見に同意していても、心が違ってることがあることも知っています。

そして私は、今までの経験上、他の誰かよりほんの少しだけ、そういう人の心を感じやすいことも知っています。

だから私は、自分の意見を曲げないこと、自分の考えを表現するjことも大切にしたいけど…

同時に、目の前にいる人が、心で何を感じているか、それは本当にその人が欲してるものなのか…そういうことを考える人でありたいなと思います。

きっとそれは、とても難しいことで。今日・明日ですぐにできることじゃないんだと思う。

1年後も、2年後も、10年後も…きっとたくさんのことに悩んだりして、一歩進んでは、戻って、そんな進み方しかできないのかもしれないけど、

それでも私は、そういうものを大切にしながら、『他の人には、自分と同じ辛い思い・悲しい思いはしてほしくない』という思いをもっていたいと思います。

きっとそれは、余計なおせっかいと隣り合わせなんだろうけど、他の人にも同じ体験・思いをさせてしまうよりは、ずっといいなと…。

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