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人見知り・引っ込み思案な女の子が、深く話すことを夢見てセラピストになるまで

こんにちは、愛弓です。

幼いころの私は、人見知りで引っ込み思案な女の子でした。

そんな私ですが、小学3年から人前で話す機会も増え、大学時代には『”深く話すこと”を仕事にしたい』と思うようになりました。


正直なところ、話すこと(コミュニケーション能力)にも自信のない私が、”深く話すこと”を仕事にするのは難しいと感じ、諦めかけたこともあります。

就活をするほど現実が見えてきて…『普通の企業に属しても、私の叶えたい夢は叶わないんだろうな』とも感じていました。

100%満足する形でなかったとしても、せめてお客様と直接話せるように接客業をしようかと考えたこともあります。


だけど、夢を諦めかけたとき”セラピスト”という仕事に出会い、

『セラピストなら、お客様に必要のないものを売るつける必要もなく…もっと単純に、目の前にいるお客様のためだけに一生懸命になれる』

『こっそりと、”心がつながるほど深く話すこと”を続けられる』と思い、セラピストになりました。


セラピストになり、たくさんの人たちと関わっていく中で、「体と心」「癒し」「深く話すこと」などについて自分なりに探求してきたんだと思います。

そして今、余分なものをなくして『もっとシンプルに”深く話すこと”・”癒し”をやっていきたい』と思い、その準備のためにブログを書いています。


ここでは、【人見知りで引っ込み思案だった私が、人前で話すようになるまで】と【『”深く話すこと”を仕事にしたい』と思い、セラピストになるまで】を書いていこうと思います。

セラピストになるまでの私の半生…みたいなものですね。きっと。

人見知りで、引っ込み思案な女の子だった

幼いころは人見知りで、引っ込み思案な女の子でした。


友達がいても、なかなか声をかけに行けなくて…母に「行っておいでよ」と背中を押してもらったり、母が友達に声をかけてくれることもありました。

友達のお母さんに声をかけられても、挨拶できなくて、母の後ろに隠れてしまう。そんなこともありました。


小学生になっても、友達に声をかけるタイミングがわからなくて。

心の中で何度も何度もシミレーションしながらドキドキしてるうちに、タイミングを逃してしまうこともありました。


気づいた時には、いじめられていて…。

でも、いじめっ子を恨むことも、誰かに助けを求めることもできなかった私は、いろんなことを考えさせられて、『大人の助けを待つのではなく、自分で居場所を作っていかなきゃいけない』『強くならなきゃいけない』と思いました。


不思議なもので、”いじめ”というものを通じて、学生時代にたくさんのことを考えさせられました。

子供たちの間でのものはもちろん、大人たちが子供を巻き込んでしまうものも経験しましたし、大人たちの関係を遠くから眺めて距離感をとっていたこともあります。

いじめられる側はもちろん、自分を守るためにいじめたこともあります。

いろんな体験をして、いろんなことを考えて…その経験が、今の私を構成するものの一部にもなっています。

(また、機会があれば、その時のことも書いていこうと思います)

小3での体験をきっかけに、人前で話すことが増えた

小学3年生になっても、また声をかけるタイミングがわからなくて、一人ぼっちの休み時間がありました。

『友達がいないのかな?』『一人ぼっちなのかな?』

そんな風に思われるのが嫌で…一人でノートに何かを書きながら、『私には、一人でやりたいことがあるんだよ~』と謎の演出をしていました。


ある日、強い風が吹いた。

窓際の席だった私はカーテンに包まれて、その中で誰かがささやいたような気がした。

その言葉を聞いて、クラスの子に声をかけると、友達ができた。

私は【自分から声をかければ、受け入れてくれる人がいる】ということに気づいた。


ある日、クラスで討論会をすることになった。

2つのグループに分かれて、討論する。そして、意見が変わったら、そのグループに移動する。そんな討論会。

私は黙って、みんなのはなしを聞きながら。いろんなことを考えてた。

いろんなことが頭の中でぐるぐるして、『なんだ、単純じゃん。なんでみんな、気づいてないんだろう?』と自分なりの答えが出た。

手をあげる勇気がなくて…心の中で葛藤してた。

やっとの思いで手をあげて、声を出した。

たくさんの人が机をもって、大移動が始まった。クラスのほとんどの子たちが、同じ意見になった。

私はきっと、【自分の意見を主張することの楽しさ】を知った。


ある日、副学級委員長を決めることになった。

誰も手をあげなくて…勇気を出して手を挙げた。

数人が同時に手を挙げて、プチ選挙が始まった。途中で断る勇気がない私は、震えながら演説する。

気づけば、私が副学級委員長になってた。

私は【自分の意見を言うことの楽しさ】と【こんな私でも、支持してくれる人がいるということ】を知ったのかもしれない。


人前で話すことが苦手で、引っ込み思案で…目立つのが嫌で、できれば誰かの後ろに隠れていたかった。

そんな私だけど、小学3年生のいくつかの体験がきっかけになって、【人前で話すこと・自分の考えを伝えること】の楽しさを知ったんだと思う。

それ以降、代表委員、バトンクラブのリーダー、放送委員、入賞した作文を学年集会で読む、生徒会…人前に出たり、話すことをいくつも経験してきたんだと思う。

壇上で話す先輩にあこがれて、生徒会へ

高校の入学式、壇上で話す先輩が、キラキラと輝いて見えた。

『あそこで話してみたい』と漠然と思った私は、そこに行く方法もわからないまま、少しづつ、動き出した。

全校生徒の前で話すのは緊張した。でも楽しかった

高校2年になった時、委員会の副委員長になった。

すぐに委員長が体調を崩し、委員長代行として壇上で話すことになる。

予想よりも早い展開だった。


初めて壇上に上がったときは緊張して、自分の脈しか聞こえないくらいドキドキして…。

マイクの前に立ったら、足がガクガク震えて、声にならない声が出て、声も震えて…。


できない自分、ダメな自分。

『先輩たちはできてるのに…』と自分を責めそうになる私を、慰めてくれる先輩たち。

たった1年間で、こんなに大きな差があるとは思ってもいなかった。


でも、『楽しかったな』『またやりたいな』『次こそ…』と来月を心待ちにしてワクワクしてる自分がいた。

自分の感覚が恐くて、『気づかれちゃいけない』と思った

壇上で話すためには、委員会での活動もしなきゃいけません。


突然、活動内容も知らない委員会にやってきて、委員長代行になった私。

私には、みんなをまとめる、リーダーらしいリーダーになる自信なんてなかった。

だから、『一人一人が居心地がよく、自分で考えて行動できるような環境を作ろう』と思った。

その中で、『みんなが楽しんでる間にゴールにたどり着けるように、舵をとろう』『足りない部分があれば、私がおぎなえばいい』と思った。


不思議なことに、後輩たちの気持ちが手に取るようにわかる瞬間がたくさんあった。

どんなふうに声をかければ、誰がどう動き、結果としてどう導けるか…そういうことが手に取るようにわかる瞬間が、何度もあった。

何かがわかるたび、状況をコントロールしてる自分に気づくたび、私は自分に恐怖心を抱いた。

『誰にも気づかれたくはない』『気づかれたら、恐がられてしまう』と。


1年間、委員長代行をやり切った私は、【壇上で、全校生徒の前で話す】という小さな夢を何度も叶え、たくさんのことを学びました。

満足してしまったので…『受験勉強をしよう』と、3年生になる時には他の人に委員長を任せて、生徒会をやめました。

自分の感覚受け入れるようになって、セラピストという仕事に出会った

相談にのることで、自分の感覚を受け入れてもらえる場所を見つけた

大学生になると、人の相談に乗る機会が増えました。

不思議と、人の心や状況…いろんなものが手に取るようにわかったり、体感する瞬間があって、その感覚が楽しかった。

目の前にいる誰かと、自分の心が一体化したような感覚が好きだった。


高校時代は『気づかれたら、恐がられてしまう』と感じていたので、こっそりと日常の中に潜ませていました。


でも、「相談にのってくれる?」「ちょっと相談してもいい?」と声をかけられた時って、その感覚を受け入れてくれる人が多かったんですよね。

「欲しかった言葉をもらえた」とか「心の中にあるのに言葉にできなかったものを理解してもらえた。言葉にしてもらえた気がする」と喜んでもらえることも増えて…

私は初めて、【自分の感覚を表現することで、喜んでもらえる場所】を見つけたのかもしれません。

魂の琴線に触れた…そんな感覚

大学入学時から接客業に興味を持っていたのに、自分の容姿に自信がなくて、接客業ができなかった。

そんな私が、ゆいいつ接客できたのが、毎年の学園祭。


大学3年の時、お客様の相談に乗ったことで、心の奥から何かが震えあがってくるような、不思議な感覚を体感しました。

そのおかげで、『コレだ! これを一生やっていこう』と思えるものに出会えました。

そこには、”癒し”や、”自分の感覚が表現できること”…そして、”心がつながるほど、深く話すこと”がありました。

諦めかけた時に、セラピストという仕事に出会った

『あの感覚をもっと感じたい』『”深く話すこと”を仕事にしたい』という思いは、日に日に強くなっていきました。


でも私には、話すことへの自信も、『自分にはできる』という信頼もありませんでした。

おまけに、それをメインにできる職業も、方法もわからなかった。


そんな私が、”深く話すこと・夢”を諦めて就活し始めた時に出会ったのが、セラピストという仕事でした。

『セラピストなら、こっそりと”深く話すこと”を続けられるかもしれない』

『お客様に必要のないものを売る必要もなく、お客様のことだけを考えて、一生懸命でいられるかもしれない』

そう思って、セラピストになることを決めました。

心がつぶれたことで、迷いが消えた

『セラピストになりたい』と思っても、まだ迷いがありました。

  • お給料や待遇の問題。
  • 大学で学んだことを活かせない、1からのスタート。
  • 家族、親戚、先生たち、友達…みんなからどう思われるか。

将来への不安やプライドが邪魔して、全てを捨ててセラピストになる覚悟を決めることができませんでした。


『セラピストになりたい』と伝えられないまま心がつぶれたことで、迷いが吹っ切れ、セラピストになることができました。

『セラピストになりたい』と言えず、心がつぶれた

セラピストになることに決めた

…と言っても、私は『セラピストになりたい』と誰にも伝えることができないまま、約1年間、就活と卒業研究をすることになります。


初めのうちは、『セラピストになったら、ここにいる人たち(働いてる人たち)にどんなことをできるかな?』と想像を膨らませて、セラピストになってからのことを考えていました。

気づけば、”セラピスト”という夢を諦めて、てきとうに就職しようとしてた時期もあります。

自分の心を偽ったり、身近な人たちに言い訳し続けることに疲れてしまったのかもしれません。『早く内定を取ってしまった方が楽だろうな~』とも思いました。


いつのまにか、飲めなかったはずのビールを毎日ひとりで飲んでました。

セラピストになりたかったことも忘れて、日常をやり過ごしていました。

ある日、笑ってるつもりなのに、顔も声も笑えていない自分に気づいた『あぁ、もう限界だな』と自覚しました。

セラピストになって、”深く話すこと・癒し”を探究したかった

友達に紹介されて、初めてカウンセラーさんに会いました。

カウンセラーさんが話す余裕がないくらい、1人で延々と話し続け、【”深く話すこと”がしたかったこと】と【セラピストになりたいこと】を思い出し、涙が流れました。

『そう、そうだ! 私はそれがしたかったんだ!』


一瞬、カウンセラーという仕事も頭をよぎりました。

…でも、『資格もないし、無理だな』とそのことはすぐに打ち消しました。

カウンセラーになることよりも、「セラピストになる」という言葉が心に光を灯したんです。


今になって考えてみると…以前にも心理学を学んだことがあったのですが、自分のやりたいものとは違ったんですよね。

だから私は、セラピストとしてお客様に触れ、たくさんの人たちと関わっていく中で”話すこと”や”心について”深めていったんだと思います。

誰かの作った形、常識・学問ではなく、自分の体験を通じて”深く話すこと・癒し”を探究していきたかったんだと、今は思います。

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