好きなもの・こと・場所を通じて、私の感覚を表現するブログ【ひだまりぼっこ】も更新中!

ブログを書き始めてから見えてきたのは、歪んだ家族関係と、自分だった。

こんにちは、愛弓です。

若い頃は、”癒し”というものに憧れを持ちつつも、きっと”癒し”とは縁遠い所にいるのだと感じていました。

セラピストになってからは、”癒し”というものをすごく身近に感じるようになり、『生まれて初めて、自分の居場所を見つけた』とも感じました。

もしも人生のテーマがあるのなら…。|”癒し”に出会うまでのこと


だけど、自分自身のことをどんどん知って、どんどん癒されていくうちに、既存のセラピストという枠からはみ出てることにも気づきました。

今まで通りにマッサージをしていても、私の心は満たされなくなって…

『もっと新しい世界に飛び出してみたい』とか『自分の全部をさらけ出して、自分にできる癒しをもっと提供したい』みたいな思いが、日に日に強くなっていくのを感じました。

自分の心に鈍感な私が、癒され、自分を大事にするようになった、セラピスト時代


そこで私が集客方法として考えるようになったのが、ブログです。

でも、実際にブログを書くというのは、目の前にいる誰かに話すこととは違って、ひたすら自分の心と向き合うような作業でした。

『人のために…』と思えば自然に動けるのに、自分のために行動することができない。…”人のため”が原動力になる私には、すごく辛い時間でした。

『この先に、人との出会いがあるかもしれない』と考えようとしたところで、目の前には誰もいないんです。

私はなんだか、”癒し”というものをすごく遠くに感じるようになりました。


でも実際には、私にとって”ブログを書く”ということは、自分自身と向き合って、自分を知り、癒していく作業でした。

ブログを書くことは、説明ではなく、自分をさらけ出し、自分自身を癒していくことだった

ブログを書き始めたところは、【自分がどんな人間なのか】ということと、【私は、セラピストとしてどんなことをできるのか】を言葉にしようとする作業でした。

そうやって、自分がやってきたことを思い出し、確認していきました。


でも、実際には【自分がどんな人間なのか】も【セラピストとして、どんなことを提供できるのか】も書かないままになりました。

過去を振り返れば振り返るほど、その時、その瞬間で変わっていくものを説明すっることができなかったんです。


自分の中で、『説明なんていらない』という思いが生まれました。

自分の体験を書いて、考えていることを書いて…それが、私の自己紹介にも、提供できるものの紹介にもなると思うようになったからです。

何より、私にとっては肩書きとか、『~しなきゃいけない』『~を求められてる』みたいな感覚が、邪魔になるような気がしました。

そんなことをするよりも、私は『自分の全てをさらけ出したい』という気持ちが強くなりました。


それが、セラピストだった頃から何度も何度も感じてきた思いの1つだと、気づきました。


次にやったのは、自分の過去を思い出し、過去の自分を癒していく作業。

過去を思い出すほど、自分が押さえ込んでいた気持ち、頭では理解できなかった考え、周囲の人たちの状況…いろんなものに気づいて、自分の心が整理されていくような感覚がありました。

そこには、セラピストになってからのものはもちろん、子供の頃の記憶もありました。


結果、

夢の中で、いじめっ子に自分の思いをぶつけたり、彼女が”いじめてる”という自覚がなかったことに気づいたりもしました。

母や先生に助けてほしかったこと、『大人に頼らず、自分で生きていかなきゃいけない』と頑張っていたこと。

『書くのが苦手』と思っていた私は、書くことでしか自分の思いを表現できない時期があったこと。作文入賞がきっかけで、書くのをやめたこと。

本当は、人の心を感じること、自由に話すこと、自由に表現すること…本当にやりたかったことにも気づいていったり。

いろんなことを思い出していきました。

自分を癒し、自分らしく生きていくための最後の壁は、家族関係だった

ブログを書くようになって、家族と向き合う時間は増えました。


小学生の頃は毎日習い事、中学は部活、高校は部活と生徒会…

大学時代は、『とにかく、家を出たい』『家にいたくない』みたいな思いから、あまり家に帰りませんでした。

セラピストになってからは、家族と時間が合わず、ほとんど顔を合わせることもなくなりました。休日も、出かけてばかりでした。

とにかく私は、家族と向き合うことから逃げ続けてきたような気がします。


そんな私ですが、ブログを書くようになってから、家にいる時間が長くなり、家族と向き合う時間が増えました。


そして、『幸せだ』と『両親は不器用だけど、ものすごく愛情を注いでくれていた』と『妹は、私のことを考えてくれてる(お互い様)』と…

苦しい思いから逃げるように、『幸せだ』『幸せだ』と必死に思い込もうとしていた自分に気づくことになりました。


家族のことを知るたびに、何度も何度も”毒親”という言葉に行きつきました。


実際に「毒親」と呼ばれても仕方のないほどの人がいるとは思いつつ、私は自分の両親のことを『毒親だ』と思うことはできませんでした。

両親は不器用で、自分の気持ちをうまく表現することができなかった。ただそれだけで、愛情をもって、一生懸命に頑張ってくれた。

精神的に不安定だったかもしれないし、それに傷ついたかもしれない。でも、幼い頃の心の傷が癒されていないだけで、本質的に悪い人じゃなかった。

きっと、子供との接し方がわからなかっただけで、愛情をもって、一生懸命に育ててくれた。

性格、精神的なもの、愛情に関すること…両親の育ってきた家族関係が影響してのことだから、両親が悪いわけじゃない。

自分ができなかったこと・『~でなければいけない』『~できないと恥ずかしい』とか、たくさんのことを押し付けられた。でもそれは、まだ20代の頃だったんだし…両親だって未熟だったんだから、しょうがない。

普通でいることを望まれたこと、できないことを比較されたこと、友達と友達でいることを否定されたこと…いろいろあったけど、そういう思い込みがあったり、両親だって20代でまだまだ未熟な部分があったんだから…


何より、「毒親」なんて言葉を聞いたら、『どうして、そんなに傷つけるようなことをいうの?』って、『お母さんを傷つけるのが楽しいの?』って、『あなたは人の子じゃない』とか『産まなきゃよかった』とか言いながら、泣くんだろうなって。昔みたいに。

私は傷つけたいわけじゃないのに…。


こんなに愛情をもって育ててもらってたのに、悪いのは全部私なのに、”毒親”なんて言葉を使って、自分のやってきたことから目を背ける。人のせいにする。

そんな人間にはなりたくなかった。


例えば、暴力・虐待・ネグレクト…そういうタイプのものであれば、言葉を使って説明しやすいのかなと思う。

でも私には、そんなものはなかった。

ただ、小学生の頃には、”あたたかい家族”というものへのあこがれが強くなっていて、自分の家族は家族ごっこのようだと思ってた。

片親しかいない子、親に暴力を振るわれた子、衣食住が整わないような子…そういう子たちをなぜか羨ましく思う自分がいて、嫌になった。



大学時代も、そうだった。

親が精神的に不安定で、それを家族が理解してくれて…両親が離婚した友達がいた。

彼女を心配したり、『離れることができてよかったね』と思う気持ちと…。なぜか『うらやましい』と思う気持ちが生まれて、そんな自分が許せなかった。


わかりやすい所を言えば…

父は、パニック障害だった。私が生まれた頃から。

父は精神的に不安定で、理由もわからず怒られたりもした。イライラに過敏になった。

でも私は、父がパニック障害だったことも知らず、ただ『父はそういう人なんだ』と思ってた。

ただ、心に傷があるだけで、それが普通の大人なんだと。


わかりやすい所で言えば…

母は、過干渉だった。

『お母さんが苦手だったから』という理由で、幼稚園の頃には英会話に通わされ…『箸の持ち方が悪いから』とか『運動はしておいた方がいい』と理由をつけては習い事に通わされ…毎日が習い事で、休みはなかった。

学校ではいじめられ、やっとできた友達さえも、「このことは遊んじゃいけない! この子と遊んでると、バカがうつる」と怒られた。

三者面談は、母のマシンガントークだった。中三の頃に先生が怒ってくれて初めて、そこに私に意見がなく、母が私の気持ちを代弁してることに気づいた。

高校時代は、「勉強ができないから…」と母が先生に頼んで、私は赤点でもないのに、補講を受けた。


父はパニック障害だった。母は過干渉だった。

言葉で言えば、簡単なことかもしれない。

でも実際には、もっと複雑にいろんなものが絡まりあっていて…今も私は、ここで簡単に説明することができない。


中学生の頃、母の心がつぶれたのを感じた。

父のことが原因かもしれないし、まるで完璧主義か何かのように頑張り続けようとしたからかもしれない。もしかしたら、他に原因があるのかもしれない。

ただ、母の心がつぶれた時、それを予想していたかのように、受け入れることができた。

母の心がつぶれそうになっていくのを感じながら、私には何もできなかった。


子供の頃から、母が怒る時に、父にぶつけることができず、ため込んだ感情を私にぶつけてることがあるような気がしてた。

「お父さんのように、人の心を想像することもできない。お前は、優しさのかけらもない人間だ」と。「お母さんの子じゃない。人間の子じゃない」と。「お前なんか、産まなければよかった」と。

母は、「人の心を想像する優しさのない子だ」と何度も怒ったけど…そのたびに、父と同じだと言った。

母が言うとおりにできないたび、「どうして他の子と同じように、普通のことができないのか」と怒った。それはまるで、普通の子供を育てられないと母が責められてしまうのかな?と感じるほどだった。

「妹や弟にだってできるのに、どうしてできないの!?」と妹弟の前で怒られるたび、家族の中で自分の居場所がなくなっていくような感じがした。


いつからか、母の愚痴を聞くことが増えてた。

買い物に行くたび、まるでカウンセリングでもするかのように、母の話を聞き続ける。

『ちゃんとガス抜きしてあげないな…』と思って、ただ話を聞き続けていた。

それはまるで、母の愚痴を聞いて父との関係性を保つのを支えることで、自分の居場所を作ってるかのようでもあったと思う。


セラピストになって…自分の過去に興味を持つようになってからは、母の過去の話を聞くことも増えた。

いつのまにか私は、母を癒すことを考えるようになり…母が私の前で何打を流すことが増えた。

母の両親とのこと、親戚のこと、子供の頃のこと…いろんな話を聞いていって、ついに結婚してからのことになった。

父との関係性に関する話になって…『もう少しだ』と感じたところで、母は癒しや変化ではなく、現状維持を望んでることに気づいた。

共依存という言葉が浮かんだ時、自分が出る幕ではないことに気づいた。


子供の頃、嫌なことも、大変なこともたくさんあった。

何かがあるたび、『妹や弟には、同じ思いをさせたくない』と思って、頑張ってみたりもした。

でも、相手に気を使わせるのが嫌で、いつも「ついでだから…」と平然を装った。自分の負担になっていても、気づかなかった。

辛いことがあっても、何事もないかのように笑うのが癖になった。


いつのまにか、私は『きっと、お互い様だ』と思うようになってた。

『きっと自分の気づかないところで、支えてくれてることもあるだろうし。きっと自分の気づかないところで、傷つけてることもある。』

『だから、みんなのために頑張ることもお互い様だし。傷つくことがあっても、まぁ、お互い様なんだろう』と。

でも、現実はお互い様ではなくて、一方通行だらけだったことに気づいた。

いつの間にか、姉妹・姉弟ではなく、母のようになっていて。

いつのまにか、母の母親のようになっていて…。

なんだか、めちゃくちゃなことに気づいた。


でも、そんなことを話せる人はいなかったし、話したところで理解してくれる人もいなかった。

むしろ、そんな話をしても、両親や妹弟のことを悪く言う私が、悪者扱いされてしまう。

だから、1人で我慢し続けるしかなかった。


体の中で、ふつふつと怒りがこみあげてきて…

だけど、私はその怒りに気づくことも、その原因を知ることも、表現することもできなかった。

少しでも外に出せば、怒りを外に出した自分を責めるしかない。

傷つけられて、限界で…だからと言って、人を傷つける言葉を使えば、自分が傷つき、自分を責めることになる。

そうやって自分を責めることになるのを何度も感じた。

『みんながやらないから、私がやらなきゃ…』と頑張ってるうちに、体調を崩して動けなくなった。

動けないほどの状態になってもなお、私は自分ができないことへの罪悪感を感じて、自分を責め続けてた。


家族の違和感に気づくまでにも時間がかかって。

『きっと変わっていくはずだ』と信じて信じて、変わらない現実にぶち当たって。

『家族の関係性を変えたい』とと思っていろいろ試したけど…変化が起こっても、一番変えたいものは変わらなかった。

『いつかは変わるかもしれない』と信じて待ち続けても、それがいつやってくるのかもわからないまま、時間は過ぎていった。

自分の心も体も動かなくなって、笑うことも怒ることもできなくて…考えることさえもできなくなった。私の時間は、止まったままになった。


そんな状態で、家族関係に向き合い続けて数年。


ずっと否定し続けてきた”毒親”という言葉を、受け入れることができる瞬間がやってきた。

それは私にとって、両親を悪者にするために言葉じゃない。

ただ、両親との関係性を確認して、自分を取り戻すための手助けになる言葉だった。

やっと、両親のもとを離れることができる状態になった。


そして今、最後にあるのは父の存在だったりする。

父は現在もパニック障害で、発作が出ている。

私が「家を出る」と言ったことで悪化したのだと言われたりもした。

…とりあえず、「心を整理する時間が欲しい」と言われたので、今は、それを待ってるとこ。

今月中には出ていく予定。

父とは納得していないし、先延ばしにしようとするんだろうけど…これ以上は妥協しない。

拒絶してた”毒親”という言葉を受け入れられるようになったら、家族関係を冷静に見て、自分を大事にできるようになった気がする

ブログを書くようになってから、自分の心と向き合い、自分を癒していくことになりました。

家族と向き合う時間も増え、家族との関係性についても考えることになりました。

そして今、”毒親”という言葉を受け入れ、毒親に関する本を読んでいます。


そこには、何年もの間、1人で悩み続けてきたことが、いくつも書かれていました。

なんとなく、この本を読みながら、答え合わせをしてるような気がします。

『そうだよね、そうだよね。私の思ってたこと・感じてたことは、間違ってないんだよね』って。


特に母に関しては、たくさんの要素が絡み合っていて難しく…今でも自分の中でごちゃごちゃしてる部分があります。

同時に、大切なのは、その1つ1つを理解して母のと関係性を見直すことであって、言葉にできるようになることじゃないように感じました。(だから今は、ブログで細かく説明しなくてもいいかなと)


たぶん、過去の私なら、家族から離れようとしたところで、「行かないでくれ」と先延ばしにされ続けてしまったんじゃないかなと思います。

実際に今も、パニック障害の父に「心の整理がつくまでは…」と先延ばしにされています。(それでも、今月中には行きますけど…)


でも、”毒親”に関する本を読んでいるうちに、今までとはまた違う角度から見やすくなって、『そんな反応をする自分はひどいんじゃないか?』『父を見捨てる私は、最低な子供じゃないか?』みたいな考えではなく、冷静に見れるような気がします。


父の問題を、自分の責任にしたり、自分の問題にする変えてしまうのではなく、『あぁ、これは父自身の問題だな』と。『自分がやりことを我慢すべきじゃないな』と思います。

今までは、頭ではわかっていても、心とか、もっと深い部分で理解できていない感覚がありました。

でも今、自分の中で割り切れるようになって間隔があるのは、ここ数年、家族関係に関して向き合ってきたことで、状況を理解できるようになったからかもしれないなとも覆います。

何より、頭ではなく、感覚的に…深い部分で落とし込めたのかもしれないなと。


”毒親”というキーワードが浮かんでも、今までは『でも…』『だって…』とそれを否定することばかり考えていました。

ひどい時期には、自分の親を「毒親だ」と簡単に言えてしまう人が苦手だったりもしました。(今でも、”毒親”という言葉を使って、被害者意識が強くなりすぎたり、人をコントロールしてしまう人は苦手ですが…)

でも最近は、”毒親”という言葉への苦手意識はなく、その言葉が必要な人も、必要なタイミングもあるんだなと感じています。

また、自分を確立していく過程の中で、両親を否定・批判することが必要な時期もあるのかなとも思います。


なんというか…

拒絶し続けてた”毒親”という言葉を受け入れられるようになったら、家族関係を冷静に見て、自分を大事にできるようになった気がします。

もちろん、家族関係を理解して冷静に見たり、自分を大切にできるようになったから、”毒親”という言葉を受け入れることができるようになったのかもしれませんが…。

私の場合、たぶん、それは同時にやってきたんじゃないかなと。そんな感覚でした。

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