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偽りの自分や自己肯定感の低下、足の引っ張り合い。そんな世界からは、離れた方がいい。

ここ最近、自分の自信のなさに気づかされ、『もっと自信を持っていいんだよ』と背中を押されるような体験がたくさんあった。

”自信のなさ”というやつには必死に向き合おうとしてきたつもりだけど、『やっと勝ったぞ!』と思っても、何度も何度も現れて、足止めされる。

ここ数年も、まさにそんな状態が何度もやってきた。

ここ数年、”自信のなさ”というやつの障害になってたのは家族との関係があって…今までよりも、もっと根本的な部分から変わると気なのかもしれないなとも思ってる。

家族という小さな世界・過去。真正面からぶつかる不器用な性格。

子供のころから『正しい』『これが常識』と思い込んできた世界。

その違和感に気づくまでに時間がかかって、『その思い込みを変えなきゃいけない』と気づいて行動するまでにも、さらに時間がかかった。

その世界から離れて、新しい世界を知って馴染んだとき、古い世界が追いかけてきて、また引きずりこまれた。

あの頃の私は、新しい世界が輝きすぎて、古い世界がどんな場所だったかを忘れてた。

”逃げる”なんて選択肢が、私の中には存在しなかった。


悪いものには蓋をして、見なかったことにして逃げる。

もしくは、見て確認して…それを否定したまま逃げる。離れる。

それで済む人もたくさんいるんだと思うし、そんな風に逃げない自分を『バカだな~』と思うこともある。

それでも逃げることができない。

多分それが、あの頃の世界の後遺症のようなものだったんだろう…。


でも、時間をかけてでも1つ1つに向き合って、乗り越えていこうと正面からぶつかっていく。

そんな不器用な性格だから見えてくるものがあるんだと思う。

逃げることができないから、見える世界もある。


なにより、私はその経験を『活かしたい』と思うものに出会えた。

過去の嫌な体験なんかより、その経験を活かせることの方が楽しいし、ものすごく好きだったりする。

そういうものに出会えたおかげで、私は、そういう不器用さが嫌いじゃなかったりもする。…むしろ、その不器用さが好きだったりする。


あ…。少し脱線してる…。ちょっと戻していこう。

偽りの自分と低下する自己肯定感。そんな世界・関係性からは離れた方がいい。

多分、相手は否定的な言葉を投げかけたつもりもないし、傷つけたつもりもない。

それがずっと、私たちの関係性だったから。


でも本当は、私はずっと傷ついていて、『これ以上、傷つかないように…』と笑顔でそれを隠してたんだ。

悲しくても、悔しくても、辛くても、苦しくても…笑って、自分を下げて。何音もないかのように笑ってた。

いつのまにか、自分が悲しいことにも、苦しいことにも、悔しいことにも気づかなくなった。

でも、その代わりどんどん他人の感情には過敏になって、相手が傷ついたり、申し訳なさを感じそうな時にはごまかそうとするようになった。

相手のためを思ってとった行動の1つ1つ、それが相手のためだと気づかれないようにしながら、自分の居場所を作った。


結果、私の居場所は、以前よりずっと、否定されにくくなった。

その代わり、自分が声をかけなければ、こっちを向いてもらえないし、誰かの1番にはなれない。

そんな、薄暗くて冷たい、広い広い空間になった。

相手の部屋にはドアがあるのに、私に部屋にはドアがなくて、誰でも勝手に入ってくる。

部屋というより、そんな空間になった。


『もうやめて!』と言葉にできない感情を、行動で表すことしかできなかった。

その行動がまた、彼らが私を責めることのできる出来事になって、私は攻撃され、傷つく。

そんなことの繰り返しだ。

でも、彼らからすれば、そんな行動をとった私が悪いだけで、私の気持ちを理解しようとしてくれる人はいなかった。

むしろ、心の中で悲鳴をあげてることには気づいてもらえなくて…私はいつも悪者になってた。

そんな中で育ったせいか、自分の感情を感じることも、自分の考えを伝えることもできず、ただ『自分はダメな人間なんだ…』と自分を責めてばかりだった。

自己肯定感というやつは、ものすごく低かったと思う。


セラピストという仕事に出会ってから、体の感覚を通じて、自分の中にあったたくさんの感情を知った。

たくさんのお客様や仲間たちのおかげで、自分が持ってるものにたくさん気づかされた。

そして、自分に自信を持つことができるようになってきた気がした。

でも本当は、深い人間関係が出来上がった時、心の奥にあった自信のなさが目立つようになった。

『この人のようになりたい』と尊敬しあえる仲間ができた時、『彼女が遠くに行ってしまうんじゃないか?』と不安になった私は、彼女にしがみつきそうになる自分が嫌で、彼女が離れる前に自分から離れてしまった。

そこにも、自分への自信のなさは関係してる。

あ互いに認め合い尊敬しあえる関係だったのに、私は勝手におびえて逃げてしまったんだ。


ここ数年、家族という、幼い頃に育った世界と真正面から向き合うことになった。

そこには、私が持ってたのとは全然違う世界が広がっていて、『幸せだ』『こんなに幸せなんだかっら、悪く思っちゃいけない』と言い聞かせていた幼い自分を思い出した。

『今の自分なら大丈夫』と思っていた私は、その狭い世界の中で、あの頃の私に戻りかけていたのかもしれない。

いつのまにかダダ下がりした自己肯定感、自身のない自分。

『こんなんじゃなかったはずなのに…』と思いながら、どんどん引きずり込まれていく。

気づけば私は、自分をこんな場所に引きずり戻した人たちが、『私を置き去りにしてここから逃げ出さないように…』と誰かの愛を引っ張っていたんじゃないかとも思う。

始まりが何かはわからない。足の引っ張り合いの世界。

そんな風に感じてしまった私は、心がやんでいたのだろうか?


正直、何度も何度も考えた。

その世界や人間関係に問題があるのではなく、そんな否定的な考えを持つ私が悪いんじゃないかと。

こんなことを外に発信してしまう私は、ものすごく性格が悪いんじゃないかと。

自分がいた世界の良い所を見ようとするのをやめて、その世界の悪い部分を見て、世界を変えることを諦めて逃げることを決めた私は、ただ弱くて、現実と向き合うことから逃げてるだけなんじゃないかと。


でも、何度も何度も思った。

ここから離れなきゃ、つぶれてしまう。動けなくなってしまう。

逃げるしかない。離れるしかない。新しい世界に飛び出してみるしかない。

あとがき…

今日書きたかったのは、こんなことじゃなかったんですよね(^^;

なんだかネガティブな話でしょ?

具体性のある内容でも何でもなくて、『何言ってんの?』って思うようなこともたくさんあるでしょ?


書きながら、私自身も思ったんですよね。

『本当にこれ、そのまま書いてていいの?』『公開すんの?』って。

だから途中で、『脱線してるな~』って軌道修正しようとしたりもしたんですけどね…結局、軌道修正なんてできなくて、そのまま書いていくことにしちゃいました…


たぶん私は、こうやって書きながらいろいろ整理してるんだろうな~って思ってます。

でも、こんな文章が誰の役に立つのかも、何の意味を持つのかもわからなくて。

ただ、書いてしまった後に、こうやって公開するための言い訳ばかり探してるんですよね。


しいて言うなら、家族とか、狭い世界の中にとらわれてしまって、『離れなきゃいけない』『このままじゃいけない』と思ってるけど、離れることができない。

そんな状態の人がいたら、何かを届けられたらいいなとか、そんなことなのかもしれない。

noteを書き始めた時に私は、家族に違和感を感じないふりをして、”幸せな家族”というか”家族への優しい気持ち・感謝の気持ち”みたいなものでごまかそうとしていました。

自分でも気づかなかった、家族への違和感や怒りを書いてみた時期もあったし。

『離れなきゃ』って思いながら、離れられない時期もあった。

もちろん、中には、そんなの関係ない記事もありますよ。

でも、たぶんこのnoteは、そういう私の中の葛藤みたいなものがベースにあるんだろうなって。(今思ったw)


今すぐには難しいかもしれないけど…いつか、そういう家族関係、人間関係のことも伝えられたらいいなって。

そんな”自分へのメモ”の意味を込めて、この文章は残しておきます。

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